🌱 ともぴぃの「深煎りストーリー」へようこそ。
ハーブにたどり着くまで、ちょっと寄り道が多い旅路ですが(笑)、ゆっくり味わっていってくださいね。
子どもの頃のこと
私は一人っ子で、空想遊びが大好きな子どもでした。
サンリオのミニチュアを集めてみたり、ぬいぐるみを並べて物語を作ったり、色水やおままごとに夢中になったり…。小さな世界の中で自由に遊ぶのが、なにより心地よかったから。
その一方で、母がとても厳しい人で「褒めてもらいたいのに叶わない」もどかしさから、いつのまにか常に母の顔色をうかがうようになり、人に合わせ、喜んで貰える自分を作り…、自己肯定感が低い自分が育っていきました。
だからこそ、当時は母に褒めてもらえないのが辛くて、心を守るために空想の世界に閉じこもっていたのだと思います。でも今振り返ると、あの経験は“自分で自分を褒めてあげることの大切さ”を知る種にもなっていました。
けれど、当時も自然や生き物とふれあう時間だけは別でした。ひとりで自然の中で遊ぶことは密かな楽しみでした。自由だったから。草花で色水を作ったり、魚やザリガニを捕まえたり。そこにはだれに気を遣うこともなく、安心して自分でいられる喜びがあったのです。
海外への憧れと文通時代
テレビで見た兼高かおるさんの旅番組は、子どもの私にとって「海外=キラキラした未知の世界」そのもの。遠い国の景色や文化に、胸が高鳴ったのを覚えています。
自己肯定感の低さから、「まだ見ぬ土地に行けば、まっさらな自分から始められるかもしれない」――そんな気持ちもあったのかもしれません。
辞書を片手に、英語や外国語に挑戦しながら、見知らぬ国の友達と手紙をやりとりすることは、とても楽しかった。母が英語を苦手にしていたこともあり、「ここは自分の好きにしていいテリトリー」と思えたのも気楽でよかったのだと思います。
自由にできる!と自覚すると、人はどんどん大胆になれるもの。
最初は紹介制度でオーストラリアの友達と文通を始めましたが、そのうち「もっといろんな国の友達が欲しい」と思うようになりました。

紹介には費用がかかると知った中学生の私は、なんと海外の新聞社に「ペンパル募集」の手紙を送ったのです(笑)。送り先が分からないときは、大使館に直接手紙を書いたこともありました。大使館から封書が届いたときは、さすがに両親もびっくりしたようです。ただ、英語が関わっていたり、自分のテリトリー外のことだったこともあって、両親はあまり突っ込んでこなかったんですよ。これは、ありがたかった(笑)。
家の中では常に顔色ばかり伺って自信を持てなかった私にとって、「外の世界とつながれる」「受け入れてもらえる」「自分の思ったことを書いていい」という体験は、とても大きな救いでした。
ぬいぐるみ・コレクター活動と海外交流
小さくてかわいいもの、ぬいぐるみが大好きだった私は、20代の頃にはその「好き」がどんどん膨らんで、ついに海外のコレクターとぬいぐるみを交換(トレード)するようになりました。
「日本には日本限定が、海外には海外限定がある。」
その事実を知ったときのワクワクはハンパなかった!海外との繋がりを先に持っていたので、「日本の中でも繋がりがほしい」という気持ちが高まり、1998年7月に 「Bean & Plush Hunting」 というサイトを立ち上げます。

そこから徐々にお仲間さんが増え、海外のぬいぐるみニュースを紹介したり、限定のぬいぐるみが出たときには、みんなで近くのお店の情報を伝えあったり。いや〜、楽しかったですね。
あと、個人的にアメリカのぬいぐるみショーに足を運んだこともあります。大好きな雑誌 「Beanie Mania」主催のショウに行けるチャンスがあったときには、日本限定の東京ディズニーランドで購入した「着物ミッキー&ミニーのぬいぐるみバッジ」を身につけて参上。「日本から来たの!?」と驚かれ、そこからご縁がつながって記事を寄稿する経験までさせてもらいました。
自分の力で英語で書くのはめちゃくちゃ大変でしたが(相当なおしてもらったと思います。感謝!)、アメリカから初めて記事の載った雑誌と小切手が届いたときは夢じゃなかったんだ(笑)と感激しました。自分の書いた日本のぬいぐるみの記事が誰かのワクワクに繋がっていたらと思うと本当にうれしかったのです。



当時はとにかく「好き!」の気持ちに素直で、夢中で走っていた時期。推し心もこの頃に培われたのかもしれませんね(笑)。気づけば、ぬいぐるみを通じて国内・国境を越えた交流がどんどん広がっていきました。
そして今も、その延長線上で「ぬい撮り」を楽しんでいることもまたおもしろい。一旦離れてもまた戻ってきちゃうんですよね。お気に入りのぬいと一緒にお出かけしたり、日常にちょこんと登場させたり。写真を通して「ぬいと暮らす世界」を切り取る時間は、あの頃のワクワクをそのまま持ち続けている感覚があります。その頃に広がった空想の世界は、今も私の中で息づいています。
このブログにも、時々彼らが登場してることも…(笑)。ぜひ、探してみてくださいね♬
ミーハー魂で駆け抜けた大リーグ時代
ぬいぐるみの次に私が夢中になったのは、なんと大リーグ(笑)。
きっかけは、当時の夫がプロスポーツカメラマンだったこと。たまたま一緒にアメリカへ渡り、ちょうどイチロー選手が大リーグに挑戦しはじめた時代に、マリナーズの試合を球場で観たのが始まりでした。
でも私が惹かれたのはラテン系の選手たち。なかでもベネズエラ出身のピッチャー、フレディ・ガルシア選手に夢中になりました。大きなフォームで投げる姿や、人間くさい感情表現が好きで。完璧じゃないところがまた私の心をくすぐりました(笑)。

帰国後も試合を追いかけ、先発登板ごとに手紙を書いて送る日々。ありがたいことに顔を覚えてくれて、渡米すると話しかけてくれるまでになりました。現地で撮った写真をプレゼントしたときに喜んでもらえたのは、今でも忘れられない思い出です。

推しを追いかけるうちに、年に何度もアメリカへ飛ぶ生活に。

スプリングトレーニングのためにフロリダへ、シアトルやシカゴへ。2009年のWBCの決勝戦で試合前のセレモニーに参加し、なんとアメリカ国旗を持って歩かせてもらったのはもう一生ものの経験と思い出。今思えば、推しと共に旅をしていたような時間でした。
ラテン系の選手たちは母国語がスペイン語。彼らの会話や現地の新聞を理解したくて、スペイン語を独学で学びはじめたのもこの頃です。推しがいると人はどこまでも動けるもの。私にとっては、推しが旅と学びの扉を開いてくれた大切な時期でした。
このミーハースピリットを伝えたくて、当時も「ともともの独り言」という大リーグブログを書いてました。当時は渡米する度に現地からレポートをして日本の読者さんとコメント欄でチャットしてました。ただ熱量と楽しさだけで寝る時間割いてやってましたが、あれは若かったからできた…と今となっては思います(笑)。今は絶対無理。やっぱりやりたいことはそのときにやるべし!ですね。いい経験させて貰いました。
ただ、30歳を過ぎてキャーキャーする姿を母に話すことはできませんでした。当時仕事と嘘をついては渡米してましたね。きっと「恥ずかしい!」と言われるだろうと思ったから。でも今の私なら胸を張って言えます。「好きなんだからいいじゃん!」ってね。
小さなぬいぐるみから始まった、思わぬ一歩
推し活に夢中だったあとの私は、DVを受けて家に閉じこもってしまう時期がありました。外に出られるようになったのは、ランニング仲間を応援したり、走るようになってから。身体を動かすことは氣持ちよかったし、家に居ない時間をつくることで少しずつ息ができるようになったのです。そして外に出ることでこれはおかしい、このままじゃだめだと氣付くことも出来ました。
その後、離婚。ランの経験は現在の素敵な旦那様との出会いも作ってくれ、再婚。しかし、大切なペットとの別れが私自身をどん底に落とします。
10年間一緒に過ごしたうさぎの「ハッピー」は、私のしんどい時代をずっと支えてくれた存在。そして私を必要としてくれると自分が実感できる存在でもありました。でもずっと落ち込んだままではハッピーに申し訳ない。そうはわかっているけど…とモヤモヤしてるときに転機が訪れます。

このタイミングで海外のペンパルから届いた、うさぎのぬいぐるみ。「まさかあなたの大切なハッピーラビットが亡くなるとは思わなくて、それ以前に誕生日プレゼントとして買ってたの。氣を悪くしたらごめんなさい」と添えられていたメッセージには泣きました。氣を悪くするどころか、その温かい氣持ちが嬉しくて仕方なかったのです。
その子に「ラッキー」と名づけました。ハッピーからラッキーへ。まるでバトンを渡すような不思議なつながりを感じています。
ちょうど時期はコロナでの自粛まっただ中。
ちょうど時間もあったため、以前ぬいぐるみサイトを運営していたときにやっていたぬい撮りを再開して何気なくインスタグラムを始めたのです。そして世界中のぬい友さんたちとのつながりができました。時代ですね、こんなに世界と繋がるのが簡単になるとは…。
本当に、何がきっかけになるかはわからない。だからこそ「やってみる」ことって大事なんだな、と今は心から思います。
トマトの実験から広がった、畑への興味
大リーグやぬいぐるみを追いかけていた頃は、外の世界に夢中になる「ワクワク」に満たされていました。でもその後、そのワクワクが「暮らしの場」に戻ってくるきっかけが訪れます。
それが「トマトのスライスをそのまま土に埋めると芽が出る!」という話。
なんと、その話はぬいぐるみ仲間のコミュニティで出てきたもの。えええ?!ほんとに?そう思って、お試し好きの私は即実行!で、試してみたら本当に芽が出て実がなったんです 👉 初めてのガーデニング実験





そこから「育てる」楽しさにすっかり魅了され、やがて畑を耕すことに。ちょうど「食糧難になるかも」という話題もあり、自分の食べ物を自分で育てたいと思うようになりました 👉 畑を耕しはじめた理由

さらに「肥料不足になるかも」というニュースから「そもそも肥料って必要なの?」という疑問が生まれ、調べるうちに自然農・自然栽培という考え方に出会い魅了されました 👉 自然栽培との出会い

こうして小さな好奇心からはじまった試みが、いつのまにか「土と循環」にたどり着き、今の暮らしにつながっていったのです。まさか、ぬいぐるみのつながりからこんな方向に進むなんて…。当時は思いもしませんでした。
書いてて思ったのですが、私は昔から、何事もゼロからスタートする、生み出すことはあまりしんどさを感じませんでした。むしろ、しんどくなるのは幼い頃から母の顔色を伺う中で培われてしまった、周囲の期待に過度に応えよう頑張るとき。以前は良い子ちゃんで望まれるようにあろうと努力してたので(いらん努力…笑)、本当の自分とのズレが出てくると同じ場所に居続けることがしんどかったんですよね。
だからこそ、人間が中心ではない常に手探りのお試し状態の畑づくりが、私にとっての安心でありエネルギー源になってきたのだと思います。
そして現在へ
気づけば、ぬいぐるみや推し活からもらったワクワクが、畑や暮らしの循環につながっての今。
畑は私の自己肯定感の低さをまるっとやさしく包み込み、「私自身が自分であることができる場」となり、自分の波動を変えていくきっかけとなってます。私だからできることもきっとある!今はここから何かを生み出せる場にしていきたい、人が集える場所にしていけたらと思い、自分のできることを一つずつコツコツトライしています。
現在進行系中の発見や考えたこと、実際にやってみたことはセキララに(笑)どんどんここで綴っていきたいとも思っています。そんなことも知らないの?と思われるようなことも間違いなくたくさんあると思いますが、でもそれがリアルな私だし、この試行錯誤が新たに始めようかなと思う方の背中を押すことになればうれしいです!
人の歩みって本当に不思議。
みなさんにとっての「小さなきっかけ」って、なんですか?☺️🌱
思えばすべては「おもしろそう、やってみよう」から始まっていました。
そして出来るかどうかは関係なく、ただ勢いでやったことがすべて今を作っています。逆に出来るかな?とか出来そう…とかでやったことは続いていません。これからもその気持ちを忘れずに、土とともに、自分のリズムでワクワクを育てていきたいと思います。
🌱 小さなきっかけが、これからの未来も連れてきてくれる!と信じて。
そんな思いを胸に、今は「植物と暮らすセルフケア・アドバイザー」として、学びを深めながら活動中です。
このゼロから立ち上げた畑から作られたパワー溢れる植物たちをフレッシュやティーなどでお届けしたり、植物のパワー、土を中心に集まる目に見えない生き物たちとふれあいながら「自分を生きること」「自分で自分を大切にしていくこと」などを実感できる場作りもしていきたいと思っています。
何かあればこの場に記していきますので氣軽にのぞきにきてくださいね。
どうぞよろしくお願いいたします。
お問い合わせ
このブログのことはもちろん、ハーブ教室・商品企画・コラボ・執筆などのご相談もお気軽に。